武蔵野日記

しがない学生の日記です

読書の秋、一考

今週のお題「読書の秋」

 

はてなブログには記事の「お題」をセレクトできる機能がある。週ごとに変わっていくようだが、今週はどんなかと見たら上記の通りだった。

個人的には本はどの季節も読むので、特に「秋だからこそ!」という意気込みはないのだが、たしかに秋にはどこか本を欲する気持ちが高まる。なぜなのか頭を巡らせてみると、「時間的な余裕がある」「気候も涼しく集中しやすい」といった理由は何となく浮かぶが、いまいち確信は持てない。

 

そもそも、なぜ読書の「秋」と呼ばれるのだろうか。

最初に国語辞典的な意味を確認してみる。「コトバンク」より、デジタル大辞泉小学館)の「読書の秋」記事を見ると、

秋が、読書に適した季節であることをいう語。夜が長くなり、読書に充てる時間を多く取れることから。→夜長

とある。先ほどの「時間的な余裕」という推測は当ったが、さらに言えば秋は「夜長」であることが重要だった。

なぜ秋の夜に注目されたのか、もう少し調べてみる。

 

crd.ndl.go.jp

これは福井県立図書館のレファレンスコーナー*1に、「『読書の秋』とよく言われるが、その由来について知りたい」という利用者からの質問が寄せられ、図書館が資料をあたりそれに回答したものだ。

まず、由来のひとつとして、

中国の唐時代の詩人 韓愈の漢詩に「燈火稍く親しむ可く」という一節があり、ここから秋が読書にふさわしい季節として、「秋燈」や「燈火親しむ」といった表現が使われるようになった。

という説が挙げられる。

暗くなり、秋の澄みわたるような灯だけが浮かぶ中、一人本を読む。静かで良い夜の過ごし方だ。きっとこの読書と灯りへの親しみは、夜が長くなるにつれ自然と表れる感情なのだろう。現代を生きる自分にもそれは納得できる。

 

またレファレンス事例では、日本で秋に「読書週間」(最初は1924年の「図書館週間」)が制定されたことも影響があるのでは、という調査もしている。もっともその数年前から、「読書の秋」というフレーズは新聞に出ていた。

1918(大正7)年9月21日 読売新聞朝刊5面 
 見出し「読書の秋 図書館通ひの人々 読書と世間」
 本文「昼は水の様に澄みきつた日影の窓に夜は静かにして長い燈の下に読書子が飽く事もなく書に親しみ耽るシーズンが来た(後略)」

なんとも優雅なイメージを描いている。だが「水のように澄みきつた」「静かにして長い燈」といった、秋に対する清澄で静寂な捉え方は、かつて唐の詩人が語った「秋」の特徴を根底で受け継いでいるようだ。

 

とはいえ、本格的に「読書の秋」がメジャーに語られるようになるのは、戦後からだそうだ。

第二次世界大戦で中断した読書週間は、再開にあたりアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウイーク」を参考にすることとなる。日経スタイルの記事に、この経緯の概要がまとめられている。

style.nikkei.com

 

チルドレンズ・ブック・ウィークは、「子供にもっと本に親しんでもらおうと1919年に始まった啓発運動だが、これがまさにこの時期だった」のである。

1947(昭和22)年の第1回読書週間は、11月17〜23日に行われた。しかしその後、現在に至る「読書の秋」の具体的な道筋が整えられる。

多数の貴重な書籍の展示や本ができるまでの工程の実演など多様な催しが行われた第1回が成功裏に終わったことで、翌年第2回読書週間が計画される。その際、開催期間を2週間ほど早め、現在と同じ10月27~11月9日とした。「(11月3日の)文化の日を中心とし、その前後2週間に改める」(同)((布川角左衛門「読書週間十年の回想」の引用。布川は編集者、出版研究者。栗田出版販売の社長や大学での非常勤講師など、出版界で広く活躍したためだ。「文化国家建設に寄与する」という当初の目的に合わせた形だが、はからずも日程の移動によって季節的にも秋の最盛期に開催されることとなる。読書週間がその後この日程で続いたことで、人々の間にも「読書=秋」というイメージが定着していったことは想像に難くない。

 

ここに来て「文化の日に合わせる」という要因が(それも季節は秋)。読書は推進すべき文化である、と戦後の日本だからこそ強調された様子が伺える。大きな話になってきた。

その後、読書週間の関連団体が「読書推進運動協議会(読進協)」を設立。新興のテレビ文化に対抗するように積極的なキャンペーンを打ち出し、いつしか「読書の秋」は浸透していった…ということだ。

 

読書がなぜ秋ならではのものなのか、その必然性と偶然性が分かった。

今日僕らが耳にする「読書の秋」は、戦後文化の運動が直接的なルーツかもしれない。けれどもそれは、秋という季節と読書の行為の親和性が、昔から人々の間でそれとなく、けどかなりの真実味を帯びて受け継がれてきたこそ成り立つものでもある気がする。

 

読書をするのは、書物の世界へ孤独に静かに潜っていく行いだと感じることがある。文字で記された記憶や情念に包まれ、どこまでも遠くまで考えていってしまうような感覚。

そうした意味での読書は、秋のような長い夜と澄んだ気候において最もかなえられるのかもしれない。

と、日記としてはもっともらしくまとめたりしました。

 

最後に、僕が今秋読んだ本を(少しですが)書いておきます。『猫町』、妙にぞくっとした。

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 
猫町 他十七篇 (岩波文庫)

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

 
和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

 

*1:利用者が研究・調査のために必要な情報や資料を探すのを手助けしてくれるサービス。なお「レファレンス協同データベース」は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同し、さまざまな質問・回答事例を公開しているウェブサイト。流し読みだけでかなり楽しい。