武蔵野日記

しがない学生の日記です

異性の友だち

異性の友だち。

それは学校や職場での人間関係において、妙にデリケートな扱いをされる話題だと感じる。

友だちとして好きな人と、恋愛的な意味で好きな人。

この2つは違うものといえそうだし、僕自身は割り切って考えて色々な人とお付き合いしている。だが周りを見ると、両者は単純に分けることがためらわれるものらしい。

偶然それにまつわる話題を先日友人から聞き、考えさせられたので日記に記すこととする(この場を借りてその方に感謝する)。

 

社会の中で生きる限り、素敵だ、と思う人に出会う機会は数知れない。

一緒に行動するのが楽しい、共通の趣味がある、気兼ねなく話せる…。こうした人は同性異性問わず居るものだが、ここで考えたいのはその相手が異性の場合だ。

そうすると多くの場合、周りの友人や知人からの見られ方が少なからず変質してしまう。歪んでしまうとも言うべきか。

 

恋愛感情からではなく、純粋に興味が持てる人柄で、何か話してみたい。そういう相手だからこそ、ご飯や遊びに誘う。サシ飲みもする。

本来、それだけで周りからどうこう言われる筋合いはないはずである。いや、微笑ましい噂話レベルだったらまあ気にならない。「仲良いね~」止まりなら好きに言わせておけばよい。

問題はそれを、「あいつは思わせぶりな態度をとる人だ」と捉えられる場合がある、ということだ。

 

興味のある人と好きなことを話せるならそれだけで良いのに、なぜこんな風に思われなければならないのだろう。それで人間関係を誤解されたり、関わり方を変えられたりするのは不条理な気がする。勝手に他人の関係性を思い浮かべて、その期待が違うと分かれば裏切られたように感じ、責めたり嫌がらせしたりするなんて、ずいぶんひどい心がけだ。

また、既に恋人が居る人へ対してそう思う(危惧する?)のは、分からなくはない。けれどそれにしたって、正直な感覚は本人たち以外理解しえないのだから、ほどほどに見つめていれば良いのだ。

 

異性の相手を恋愛対象として「付き合える/付き合えない」の区別しかせず、「付き合えない」なら友だちとする、そういう考えの人も居るらしい。そんな変に気を揉まれては、男女間の友情はきっと成立しない。

それが僕には、生きる世界を狭めている気がしてならない。寂しいのだ。

 


※この日記では、異性間の恋愛(男‐女)に焦点を当てています。あくまで友人と僕との個人的体験から得た心情であることをご理解頂ければ幸いです。