武蔵野日記

しがない学生の日記です

「僕」と「俺」のはざまで

有馬は今年21歳になったが、基本的に一人称は「僕」を用いている。日常生活から。

しかし周りを見渡せば、フォーマルな場はともかくとして、ふだんの生活上同世代男子の一人称は「俺」が多数を占めている。学校や仕事先で過ごしていれば簡単に実感することだ(あと家でも父や弟は「俺」を使う)。もしかすると、「僕」は幼く思われることだってあるかもしれない。

人生における「僕→俺」の変化にはいくつかパターンがあるのではないか。たとえば小さい頃は「僕」で、小学校高学年から中学に上がるまでに「俺」へと変わる人。気が強い子は最初から「俺」で通しもするだろうし、「僕」と「俺」をはっきり使い分け続ける人も居るだろう。

自分の場合、その変化のタイミングを逃して今日まで生きてきた。

一人称って自然に変わるものかと思っていた。クラスや部活動で皆と遊んでいるうち、気付けば一緒に変わっていたら楽だったろうが、あいにくそこまで友だちはいなかった気がする。

もちろん今は意識すれば「俺」を使うこともできるし、たまに使う。けれど、「僕」への愛着が日常会話でもなんとなく捨てられずにいる。

 

理由は自分でも確信を持てないが、自分にも他人にも優しくいたいのだと思う。

まず自分に対して。身体も精神も(不本意にも)頼りない自分を指す言葉としては、きっと「俺」よりも「僕」のほうが身の丈にあっている。「俺」を使うと、無理をして強がっているように思えてしまうのだ。

それから他人に対して。誰かと話したり行動したりする時、気を抜くとつい好き勝手なことを言ってしまう癖がある。だから落ち着いて対等な目線で付き合おうと心掛けているのだが、そうすると必然的に一人称は「僕」へ近づいていく。「僕」だったら我の強さをセーブできるというか、思い込みかもしれないけれど、そう感じている。

 

このようにまとめることはできるが、まあ一番の理由は「生活で不自由しない」からである。ばかにされると思っていたらそうでもなかった。特に大学ではそうで、わざわざ突っかかる人間も居ない優しい世界だった(おかげで「俺」をわざと使い分ける余裕も出てきた)。

これからも無理をせず、弱っちいなりに何かを話して書いていこう、そう僕は思っている。