武蔵野日記

しがない学生の日記です

ミッキーマウスの声変わり

通っていた幼稚園では、週1で「ディズニー体操」というのを朝やることになっていた。

〈僕らのクラブのリーダーは~〉というメロディーに乗せて園児たちがわいわい踊るもので、歌詞の合間にミッキーマウスやドナルドダックの元気な掛け声が聞こえた。正直それ自体は楽しくなかったが、それが「ディズニー」という文化を知った最初の体験である。

その体操の時から、ミッキーマウスの声も意識して聞くようになった。

 


「ミッキーマウス クラブハウス」 本編_第1話

 

妙に甲高くて調子も軽くて、どこかこもったような、それでいてはっきり言葉は聞き取れる力強い声。少なくとも、彼以外ではめったに聴くことはない。とにかく、一度聴いたら嫌でも忘れることのできない力がある。

当時は以上のように言語化も出来なかったけど、子ども心にミッキーの声はしっかり刻み付けられた。

人生でディズニーの楽しさを少しばかり知っていけたのは、彼の声が入口を作ってくれたからかもしれない。

 

なぜこんな回想をしているのか。

今年のディズニーハロウィンのパレード動画である。特にその2分30秒あたり。


【4K版】ディズニーハロウィン2018 スプーキー“Boo!”パレード 2018年9月10日スニーク1回目公演 ミッキーフロート

 

ミッキーの声、どうしたんだろう。

力の入れ所が違うというか、何か調子が上ずっているというか、どう聴いてもおなじみのミッキーではない。

3日前、ネットサーフィン中にこの動画にたどり着き、一瞬で違和感を覚えた僕は、なんだか自分の事のように焦った。3秒後には、「ミッキーマウス 声」でGoogle検索していた。

そしてディズニー好きな大学の同級生に思わずLINEした。

 

1991年からミッキーマウスの日本語版声優を務める青柳隆志さんが今秋、現行のTVシリーズ、及びテーマパークでのパレード出演から姿を消した。

正式な交代アナウンスは無いものの、これを書いている現在、声優の星野貴紀さんがミッキーの声を担当している。これはTVシリーズミッキーマウスロードレーサーズ』の番組クレジットより明らかだ。

 

 

青柳さんは、「大学教授」である傍ら「副業」としてミッキーの声優を担当していた、という訳分からない経歴の持ち主としても知られる*1

 

 抜擢された理由はいまだ謎だし明らかにされてもいない。ミッキーに限らず、ディズニーの吹き替えではよくあることだ(誰でも分かるのはただ、原語版のニュアンスを忠実に表現できるという基準だけだ)。

それは降板時も同様なのである。

 


「ミッキーマウス!」#09 ギョッ!

 

僕はディズニーの作品やシリーズを、人生をかけてまで愛しているとは言えないし、ミッキーに関してもふわっとした理解に留まる。

それでもあの体操で出会ってから、意図せずとも頭に染み付いた甲高い声が、生きている上でいつも周りに存在していた声が変わると、予想以上に動揺し、慌てて事情を調べ出した。ファンでもないのに勝手な反応かもしれないが、いざ声が変わった時、青柳さんのミッキーがそんな自分にさえ深く刻み込まれていたことを痛感させられた。

たとえ親しい身内でなくとも、何の準備も無く空気の一部が変わることがある、そんな感覚を、ミッキーの声を通して知るのだった。

 

同時に、1人でディズニーのメインキャラクターをいくつもこなし続ける山寺宏一さんのヤバさを痛感するのである。

*1:東京成徳大学日本伝統文化学科の教員で、専門は漢詩の朗詠や和歌の披講

「高輪ゲートウェイ」の名が星となる日を待っている

JR山手線の田町~品川間にできる新駅の名称が、昨日12月4日に発表された。

「高輪ゲートウェイ


「高輪ゲートウェイ」 山手線新駅の名称決まる(18/12/04)

 

その名をTwitterのトレンドで知り、「へー、そうなんだ」と通り過ぎようとして二度見した。

待ってくれ、え、ゲート…ウェイ? 何その余計な横文字? それで確定なの? ダサめの候補の1つじゃなくて? あまりに目に馴染まない文字列に頭は混乱した。そして僕は、なぜか湧き上がる憤懣を抑えるのに必死だった。最先端の都市感が出てるでしょ、グローバルな拠点でしょ、という風を吹かせるような軽いノリ、底の浅さ、語感の無視、秩序の無さ、それらがわずか8文字に詰まっているようで。どうしてだ…。

山手線の新駅という大きな出来事にして、どうしたらこんな着地点に降り立てるのだろうか。一旦落ち着いて事実を見なくてはならない。

こき下ろすのはその後である。

 

まずはJR東日本プレスリリース

駅名案は2018年6月5日(火)~6月30日(土)の間に公募され、応募総数64,052件というが、そのトップ3は

第1位 高輪(たかなわ)…8,398件
第2位 芝浦(しばうら)…4,265件
第3位 芝浜(しばはま)…3,497件

だったそうである。おいおい、「ゲートウェイ」ってどこから来たんだと思えばなんとそちらは第130位、応募数は36件

泡沫候補も良いところじゃないか。というか36件、きっと集団投票だと思うのですよ。JR関係者の。普通この2単語を結びつけなくないですか?

何のための公募だ、高輪で良いじゃんかと思ったが、それを凌駕する選考理由があったのかもしれない。JRの発表を読む。

この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。

新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。

新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。

いやすみません、だからって「ゲートウェイ」を付けますか? 玄関口なのは分かるが、あまりに安直というか露骨というか。

 

止まらない疑問の原因をじっくり考えてみたが、そもそも「ゲートウェイ」とは何だろうか。

これ自体、意味を掴みにくい言葉なのである。『デジタル大辞泉』(小学館)を引く。

1 入り口。玄関。門のある通路。

2 異なるコンピューターネットワーク間を接続するコンピューターや装置、ソフトウエアの総称。プロトコルや通信媒体が異なるネットワーク間において、相互に認識可能な通信データに変換する役割をもつ。

 駅名は「1」を意識しているのだろうが、Google検索を使うと圧倒的に「2」のコンピューター用語として多くのヒットが現れる。もしかするとそうした接続口、拠点としての意味もあるのかもしれない。

ちなみに、かつてあったPCブランドを思い出す人も多いらしい。

www.itmedia.co.jp

だが、どちらにせよ一般に聞き馴染みのない単語である。大事なネーミングなのに、分かりやすさがない

 

鉄道記事を中心に取材するライターの小林拓矢さんは、なぜ「高輪」「芝浦」「芝浜」ではだめだったのかを考察する。

news.yahoo.co.jp

まず、高輪ゲートウェイ駅ができるエリアは、港区の港南2丁目である。それゆえ、純粋に「高輪」を名乗ることは難しい。加えて、東京メトロ南北線都営地下鉄三田線に「白金高輪」、都営地下鉄浅草線に「高輪台」という駅があり、他社に類似の駅名がある。先にできているその駅名を差し置いて、しかも「高輪」ではない地に「高輪」の名前をつけるのは、困難だったのではないだろうか。 

 

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Google マップで調べると、赤いポイントが新駅の住所(東京都港区港南二丁目10-145)である。たしかに、純粋な地名としては「港南」などがより当てはまるだろう。「芝浦」もまた若干離れている。

しかし、埼玉には「浦和」を冠する駅が8、千葉には「千葉」の付くものが12もある。個人的には東武東上線の「朝霞」と「朝霞台」も思い浮かぶ*1。先例もあるうえここまで票を得たのだから、今さら「高輪」でもきっとOKだろうに。

 

ただこの記事においては、「芝浜」の考察にはあまり納得したくないうえ、まとめの一文には突っかかりしかない。

JR東日本は、高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発で大きな利益を得ようとしている。そのためには、未来志向の駅名である必要があったのだ。そう考えると「高輪ゲートウェイ」になった理由も、よくわかる。

ごめんなさい、未来志向といいながらよりによって「ゲートウェイ」を選ぶ理由には結びつかない気がします。もっと良い単語あるでしょう。それか「品川シーサイド」みたいに少しでも語感を考えるとか。

 

しかしどうも、元凶は別に居たらしい。

新駅の周辺はJRが13万㎡に渡り再開発をする区域で、そのコンセプトが「グローバル ゲートウェイ 品川」だという。ああ、お前だったのか…。

www.data-max.co.jp

「日本のグローバルゲートウェイとして生まれ変わる」ってマジでよく分からない前置きですが、これから東京・品川エリア(高輪を含む)は新駅をはじめ、オフィスビルにマンションと街ごと新しく作られていくという。

東京都が14年に策定した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」では、海外都市や国内地方都市へのアクセス性が高く、職住が近接している品川を、大手町・丸の内・有楽町に並ぶ拠点として格上げするとしている。

再開発に対し相当な力の入れようである。

品川においては「陸路、空路ともに東京の玄関」であることから、今までのアクセスの弱さ等を克服したい、ということだ。

 

僕は今回の命名を、再開発プロジェクトを推し進める関係者による宣伝だと邪推することにした。とびきり派手で、かつ確実に人々から注目される、ある意味最高の宣伝だと。

しかしこれから何十年と続いていくであろう駅の、ひとつの街の中心になる駅の名前を、それに巻き込んでしまうのかという思いは消せない。駅名ではないけれど、きっとこうして古くは「E電」、今なら「東京さくらトラム」とか「東武アーバンパークライン」みたいな名称も生まれたのだろうな。「荒川線」の名を消そうとしているの許しがたい。

 

この駅を呼ぶ時は、「高輪駅」か「ほら、あれだよ、新しく出来た変な名前の駅」で突き通そうと心に誓う。いつかあの名が、塵となって消えることを信じて。

 

*1:JR武蔵野線北朝霞」駅に乗り換えられるのは「朝霞台」の方。「朝霞」では駅のホームにその旨注意書きがある。紛らわしさMAX

「僕」と「俺」のはざまで

有馬は今年21歳になったが、基本的に一人称は「僕」を用いている。日常生活から。

しかし周りを見渡せば、フォーマルな場はともかくとして、ふだんの生活上同世代男子の一人称は「俺」が多数を占めている。学校や仕事先で過ごしていれば簡単に実感することだ(あと家でも父や弟は「俺」を使う)。もしかすると、「僕」は幼く思われることだってあるかもしれない。

人生における「僕→俺」の変化にはいくつかパターンがあるのではないか。たとえば小さい頃は「僕」で、小学校高学年から中学に上がるまでに「俺」へと変わる人。気が強い子は最初から「俺」で通しもするだろうし、「僕」と「俺」をはっきり使い分け続ける人も居るだろう。

自分の場合、その変化のタイミングを逃して今日まで生きてきた。

一人称って自然に変わるものかと思っていた。クラスや部活動で皆と遊んでいるうち、気付けば一緒に変わっていたら楽だったろうが、あいにくそこまで友だちはいなかった気がする。

もちろん今は意識すれば「俺」を使うこともできるし、たまに使う。けれど、「僕」への愛着が日常会話でもなんとなく捨てられずにいる。

 

理由は自分でも確信を持てないが、自分にも他人にも優しくいたいのだと思う。

まず自分に対して。身体も精神も(不本意にも)頼りない自分を指す言葉としては、きっと「俺」よりも「僕」のほうが身の丈にあっている。「俺」を使うと、無理をして強がっているように思えてしまうのだ。

それから他人に対して。誰かと話したり行動したりする時、気を抜くとつい好き勝手なことを言ってしまう癖がある。だから落ち着いて対等な目線で付き合おうと心掛けているのだが、そうすると必然的に一人称は「僕」へ近づいていく。「僕」だったら我の強さをセーブできるというか、思い込みかもしれないけれど、そう感じている。

 

このようにまとめることはできるが、まあ一番の理由は「生活で不自由しない」からである。ばかにされると思っていたらそうでもなかった。特に大学ではそうで、わざわざ突っかかる人間も居ない優しい世界だった(おかげで「俺」をわざと使い分ける余裕も出てきた)。

これからも無理をせず、弱っちいなりに何かを話して書いていこう、そう僕は思っている。

異性の友だち

異性の友だち。

それは学校や職場での人間関係において、妙にデリケートな扱いをされる話題だと感じる。

友だちとして好きな人と、恋愛的な意味で好きな人。

この2つは違うものといえそうだし、僕自身は割り切って考えて色々な人とお付き合いしている。だが周りを見ると、両者は単純に分けることがためらわれるものらしい。

偶然それにまつわる話題を先日友人から聞き、考えさせられたので日記に記すこととする(この場を借りてその方に感謝する)。

 

社会の中で生きる限り、素敵だ、と思う人に出会う機会は数知れない。

一緒に行動するのが楽しい、共通の趣味がある、気兼ねなく話せる…。こうした人は同性異性問わず居るものだが、ここで考えたいのはその相手が異性の場合だ。

そうすると多くの場合、周りの友人や知人からの見られ方が少なからず変質してしまう。歪んでしまうとも言うべきか。

 

恋愛感情からではなく、純粋に興味が持てる人柄で、何か話してみたい。そういう相手だからこそ、ご飯や遊びに誘う。サシ飲みもする。

本来、それだけで周りからどうこう言われる筋合いはないはずである。いや、微笑ましい噂話レベルだったらまあ気にならない。「仲良いね~」止まりなら好きに言わせておけばよい。

問題はそれを、「あいつは思わせぶりな態度をとる人だ」と捉えられる場合がある、ということだ。

 

興味のある人と好きなことを話せるならそれだけで良いのに、なぜこんな風に思われなければならないのだろう。それで人間関係を誤解されたり、関わり方を変えられたりするのは不条理な気がする。勝手に他人の関係性を思い浮かべて、その期待が違うと分かれば裏切られたように感じ、責めたり嫌がらせしたりするなんて、ずいぶんひどい心がけだ。

また、既に恋人が居る人へ対してそう思う(危惧する?)のは、分からなくはない。けれどそれにしたって、正直な感覚は本人たち以外理解しえないのだから、ほどほどに見つめていれば良いのだ。

 

異性の相手を恋愛対象として「付き合える/付き合えない」の区別しかせず、「付き合えない」なら友だちとする、そういう考えの人も居るらしい。そんな変に気を揉まれては、男女間の友情はきっと成立しない。

それが僕には、生きる世界を狭めている気がしてならない。寂しいのだ。

 


※この日記では、異性間の恋愛(男‐女)に焦点を当てています。あくまで友人と僕との個人的体験から得た心情であることをご理解頂ければ幸いです。

読書の秋、一考

今週のお題「読書の秋」

 

はてなブログには記事の「お題」をセレクトできる機能がある。週ごとに変わっていくようだが、今週はどんなかと見たら上記の通りだった。

個人的には本はどの季節も読むので、特に「秋だからこそ!」という意気込みはないのだが、たしかに秋にはどこか本を欲する気持ちが高まる。なぜなのか頭を巡らせてみると、「時間的な余裕がある」「気候も涼しく集中しやすい」といった理由は何となく浮かぶが、いまいち確信は持てない。

 

そもそも、なぜ読書の「秋」と呼ばれるのだろうか。

最初に国語辞典的な意味を確認してみる。「コトバンク」より、デジタル大辞泉小学館)の「読書の秋」記事を見ると、

秋が、読書に適した季節であることをいう語。夜が長くなり、読書に充てる時間を多く取れることから。→夜長

とある。先ほどの「時間的な余裕」という推測は当ったが、さらに言えば秋は「夜長」であることが重要だった。

なぜ秋の夜に注目されたのか、もう少し調べてみる。

 

crd.ndl.go.jp

これは福井県立図書館のレファレンスコーナー*1に、「『読書の秋』とよく言われるが、その由来について知りたい」という利用者からの質問が寄せられ、図書館が資料をあたりそれに回答したものだ。

まず、由来のひとつとして、

中国の唐時代の詩人 韓愈の漢詩に「燈火稍く親しむ可く」という一節があり、ここから秋が読書にふさわしい季節として、「秋燈」や「燈火親しむ」といった表現が使われるようになった。

という説が挙げられる。

暗くなり、秋の澄みわたるような灯だけが浮かぶ中、一人本を読む。静かで良い夜の過ごし方だ。きっとこの読書と灯りへの親しみは、夜が長くなるにつれ自然と表れる感情なのだろう。現代を生きる自分にもそれは納得できる。

 

またレファレンス事例では、日本で秋に「読書週間」(最初は1924年の「図書館週間」)が制定されたことも影響があるのでは、という調査もしている。もっともその数年前から、「読書の秋」というフレーズは新聞に出ていた。

1918(大正7)年9月21日 読売新聞朝刊5面 
 見出し「読書の秋 図書館通ひの人々 読書と世間」
 本文「昼は水の様に澄みきつた日影の窓に夜は静かにして長い燈の下に読書子が飽く事もなく書に親しみ耽るシーズンが来た(後略)」

なんとも優雅なイメージを描いている。だが「水のように澄みきつた」「静かにして長い燈」といった、秋に対する清澄で静寂な捉え方は、かつて唐の詩人が語った「秋」の特徴を根底で受け継いでいるようだ。

 

とはいえ、本格的に「読書の秋」がメジャーに語られるようになるのは、戦後からだそうだ。

第二次世界大戦で中断した読書週間は、再開にあたりアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウイーク」を参考にすることとなる。日経スタイルの記事に、この経緯の概要がまとめられている。

style.nikkei.com

 

チルドレンズ・ブック・ウィークは、「子供にもっと本に親しんでもらおうと1919年に始まった啓発運動だが、これがまさにこの時期だった」のである。

1947(昭和22)年の第1回読書週間は、11月17〜23日に行われた。しかしその後、現在に至る「読書の秋」の具体的な道筋が整えられる。

多数の貴重な書籍の展示や本ができるまでの工程の実演など多様な催しが行われた第1回が成功裏に終わったことで、翌年第2回読書週間が計画される。その際、開催期間を2週間ほど早め、現在と同じ10月27~11月9日とした。「(11月3日の)文化の日を中心とし、その前後2週間に改める」(同)((布川角左衛門「読書週間十年の回想」の引用。布川は編集者、出版研究者。栗田出版販売の社長や大学での非常勤講師など、出版界で広く活躍したためだ。「文化国家建設に寄与する」という当初の目的に合わせた形だが、はからずも日程の移動によって季節的にも秋の最盛期に開催されることとなる。読書週間がその後この日程で続いたことで、人々の間にも「読書=秋」というイメージが定着していったことは想像に難くない。

 

ここに来て「文化の日に合わせる」という要因が(それも季節は秋)。読書は推進すべき文化である、と戦後の日本だからこそ強調された様子が伺える。大きな話になってきた。

その後、読書週間の関連団体が「読書推進運動協議会(読進協)」を設立。新興のテレビ文化に対抗するように積極的なキャンペーンを打ち出し、いつしか「読書の秋」は浸透していった…ということだ。

 

読書がなぜ秋ならではのものなのか、その必然性と偶然性が分かった。

今日僕らが耳にする「読書の秋」は、戦後文化の運動が直接的なルーツかもしれない。けれどもそれは、秋という季節と読書の行為の親和性が、昔から人々の間でそれとなく、けどかなりの真実味を帯びて受け継がれてきたこそ成り立つものでもある気がする。

 

読書をするのは、書物の世界へ孤独に静かに潜っていく行いだと感じることがある。文字で記された記憶や情念に包まれ、どこまでも遠くまで考えていってしまうような感覚。

そうした意味での読書は、秋のような長い夜と澄んだ気候において最もかなえられるのかもしれない。

と、日記としてはもっともらしくまとめたりしました。

 

最後に、僕が今秋読んだ本を(少しですが)書いておきます。『猫町』、妙にぞくっとした。

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 
猫町 他十七篇 (岩波文庫)

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

 
和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

 

*1:利用者が研究・調査のために必要な情報や資料を探すのを手助けしてくれるサービス。なお「レファレンス協同データベース」は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同し、さまざまな質問・回答事例を公開しているウェブサイト。流し読みだけでかなり楽しい。

マリオでラブストーリーを味わえるなんて思わなかったあの頃

有馬家では今に至るまで、テレビゲーム機というものにほとんど馴染まぬ生活を送ってきた。

家にそこまで余裕が無かったことと、子である僕と弟があまり物欲を持たなかったこと。だからPlayStationもGame BoyもXboxも、誰かの家でほんの2~3回遊んだだけである(DSなど携帯型も然り)。結果として、一緒に遊ぶ友だちはあまり居ない少年時代だった。

 

しかし、これだけは欲しいと思って1台だけ買ってもらったゲーム機がある。Wiiだ。

はじめてのWii』を遊び倒すことに始まり、『Wii Fit』『Wii Sports』とソフト数は少ないものの、それなりに楽しく3~4年遊んだ(ディスクを読み込まなくなって使わなくなった)。

 

その中で一番やり込んだものが、スーパーペーパーマリオ(2007年)だった。今はWii U版が出ているらしい。

 

ゲーム機を与えられたものの何が流行っているか分からず、「マリオなら間違いないだろう」と思って買ってもらったのだった。

結論から言うと面白かった。しかしそれは、期待していたアドベンチャー的な面白さではなかった。

 

いつも通りピーチ姫を助けに行くマリオだが、姫を襲ったのはクッパではなく、ノワール伯爵率いる一味だった(ザ・伯爵ズというらしい)。

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ノワール伯爵

 

彼は世界の終わりまでの出来事を記した「黒のヨゲン書」の所有者で、その予言を実行させ、自らの仲間と世界を滅ぼし、新しい世界を作ろうとする。

「ワ~ルワルワルワル」と高笑いする彼は、最初こそ彼らは純粋な悪のように見える。

 

しかし世界の崩壊が確実に進んでいく中、伯爵の状態がおかしくなってくる。

だんだん「ワル」と笑わなくなり、口が重くなっていく。側近ナスタシア*1との会話からにじみ出る苦しさ。そして章の合間に挟まれる、何者か分からぬ若い男女の回想。

 

全てが結びついた時、心の底から「あああああああ~~~~」と悶えた。予想もしていなかった展開を、存在を知らなかったツボを見事に突かれた感覚。

僕は、マリオが新しい世界でどんどん敵を倒していく、シリーズとして基本的な面白さを求めていた。初めて自分の家で遊べるマリオだから、それさえ味わえれば幸せだったはずだ。なのに。

決して叶えられぬ愛が生み出してしまった悪、それを分かりながら止められない崩壊の物語。

なんて面白さに目覚めさせてしまったのだ。

 


スーパーペーパーマリオ 紹介映像

 

結局それ以降ほとんどマリオを遊ぶ機会がなく、今に至るまでこれが僕にとっての最高峰となっている。

正直上のCMでは僕の話した魅力がまるで分からないが、このように2D→3D世界へ移る「次元ワザ」のギミックなど、冒険的な面白さもたくさんある。

今からでも流行ってほしい。

*1:僕はこのキャラが一番好きです

役には立たない

起こった当時はそうでもなかったけど、今考えると妙に悲しい。そんな思い出がある。

小5の頃だったか、学校で屋上プールの掃除か何かがあって、同学年のみんなで作業していた。その時僕は多分言われたとおりに物を運べなかったか、落としてしまったかした。

クラスメートの女の子に「役立たず」と怒られてしまった。

 

いや、自分がてんで不器用なのが100%悪いのだけれど、大人になってから仕事のミスで責められるといったシチュエーションならまだ分かる。でも僕は、小学生にして、しかも可愛い女子から「役立たず」と真面目に叱られたのである。

もう少し「バカ」とか「アホ」とかなら良かったのだけど、11歳にして社会的に「役に立たない」ことを自覚させられてしまったと思うと、なんだか残念な子どもだった気がする。

 

ただそこで、自分は大して役に立てない人間だと気づけて良かった。

無理に役立とうと頑張らなくても、その時だってそれからだって案外生きていけた。関係なしに人生の周りには楽しいことが転がっていたりした(辛いこともあるけど)。

 

ということでこの日記には、決して役には立たないけど素敵だ、と思ったことを書いていきたいです。Twitterとかでやれば良い話ですが、長めにジャンル問わずつらつらと書きたいこともあるので。

申し遅れましたが有馬 武蔵(ありま むさし)と申します。ふだんは文学部の学生で、本読んだり映像作ったりして過ごしています。

よろしくお願いします。