改札前の「じゃあね」
すっかり夜も更けた頃、大きな駅の改札前。ついさっきまで一緒に楽しくお喋りしていた隣の人は、別の路線に乗って行ってしまう。僕はそこで、「じゃあね」の一言を絞り出すのがたまらなく惜しくなる。いつまでも時間を使って喋ろうとする…。
こんな経験が、特に大学に入ってからは何度もある。それも、同じ学部やサークルなど、その気になればすぐ会えるような人ほど強く感じる。
帰る前は(仲が良いからではあるけど)そんなに話すこともなかったはずが、どこか必死に他愛のない話をつなげている僕が居る。きっと迷惑かもしれないと思いながらも、なかなか止められない。
どうしてなのか、自分でも分からなかった。
そんな思いを浮かび続けていた夏のある日、親しい人とご飯に行く機会があった。
駅に着いて僕が例の状態になってしまうと、その人は不思議そうに僕を笑った。「こんなに寂しがるの、珍しいタイプだと思う」。自覚があるだけ改めて指摘されると恥ずかしかったから、あなたはどうなの、と僕は聞いた。
「私は、『また会えるし』と思うから」
…そうか、そんな思い方もできるんだ。
「またこの人に会える」と感じられる別れって、すごく幸せなことじゃないか。結局僕は、一人で帰ろうとするたび、ただその確証を求めてもがいていた。
駅の改札で、その人へありったけのお礼を込めて、「じゃあね」と手を振る。けどその時以来、「またね」と付け加えて言うことが多くなった。
辛いけれど、また会えるんだと言葉にすれば、幸せな夜になるはずだ。